滅びの熱

『傀儡』シリーズ番外編その2


 醜いものが、周りを取り囲んでいた。
 
 常に身の回りを蠢(うごめ)いているこの醜きものたちは、耐え難き腐臭を放っていることに気づかないのだろうか。
 ちらと一瞥すれば、氷に触れたようにひやりと身を竦めてみせるが、それは一瞬で、すぐさまぎしぎしとかしましい音を立てる。
 臭い。
 汚い。
 醜い。
 ここが斎庭(ゆにわ)などとは片腹痛い。ここほど濁り穢(けが)れた場所はないだろう。
 だからただ、呼気(こき)だけで外に出た。
 
 あれほど穢れていても、表向き神の坐す清浄なる社に穢れがあってはならないことになっている。穢れは特定の場所にのみ存在を許され、それらはみな社から隔離されていた。いわばゴミの集積場のようなものだろうか。
 中でも一番大きな集積場は、村という形態を取っていた。夢の島というには漂う空気は重く、目を合わせるものはないのに視線はまとわりつき、発せられる気は暗い。
 それでも、ここを穢れと言い切る輩(やから)ほど醜くはない。
 醜さはそれだけで罪なのだと気づいたのはいつの頃だろうか。最初から、それだけは知っていたのかもしれない。醜さは罪、美しさは力  だからこそ、この身にはあの醜きものどもが妬み羨む能力が宿っている。
 そう、力は美しきものに宿る。
 内心で呟いて、古ぼけた建物に足を踏み入れた。
 古い板張りの床は、そう力を籠めずともぎしりぎしりと音を立てる。その無粋な音が、奥にあるひそやかなざわめきを瞬時に消し去った。後には緊張と怯えが残り、思わず知らず笑みがこぼれる。
 広間には自分とそう幾つも違わない子どもが十人ばかり集められていた。中に一人、とりわけ幼い子がいたが、その瞳は薄く濁り、すべてを投げ出してしまったような諦念さえ感じられる。騒ぎはしゃぐような馬鹿な子どもは一人もいない。
 静謐(せいひつ)な空間に、時折こつりこつりと音がする。そちらを見やれば、隅の方に少年が一人座り込んでいた。立てた膝を抱えずに、両腕が床の上に投げ出されている。その指が、床板を打っているのだ。そのリズムが、彼の意志ではなく、震えがそうさせているのだと告げていた。
 つとそちらへ足を進めると、かたりとひときわ大きく床を打つ。とりたててその少年に興味があるわけではないが、せっかくの静けさを奪う無粋さが気に障った。
 力を宿す器でありながら、その少年の器は呆れるほどに小さく、失笑が漏れる。器であるがゆえに許されている生なのだから、彼の未来はこの時点で定まった。
「お前」
 声を掛けると、ようやくわずらわしい指の音が消えた。それどころか、呼吸の音さえ定かでない。恐怖ゆえか、少年の顔は白く白く透き通るようで、その白が少しだけ寛容な気分を思い出させた。
「何が好きだ?」
「……え……?」
 予想もしない問いだったのだろう、少年は呆けたように口を開き、つと顔を上げる。数秒ののち、それがとんでもなく不作法なことだと気づいた少年は、目の縁を赤く染め、顔を伏せた。
「何が好きかと、聞いている」
「なに、って……」
 重ねて問われ、ようやく現実に発せられた問いだと理解した少年の頬が、少しだけゆるむ。それがはにかみに見えて、もとより微かな寛容さが消えて失せた。
「こねた邪霊(じゃれい)と地を這う蠱(こ)と……邪気(じゃき)の玉というのもあるな」
 少年の顔から色が消えた。先程までの恐怖とはまた別種の怯えが浮かぶ。
 それでいい。そうすることでしか、生きられない身なのだから。
 そう思いつつも、満足したわけではなかった。道すがらもてあそんでいた邪気を手のひらでこね、少年の顔の前にかざす。きょとんとした表情の少年に邪気越しに息を吹きかけつつ、呪を走らせる。
 広間に息を飲む音だけが響いて、目の前の少年は、永遠に震えることがなくなった。
 
    *       *       *
 
 所詮道具だとわかっていても、自らの手に収まるものの出来が悪いというのはやはりもどかしい。けれど、どんな道具を手に入れようと、自分がけして満足しないこともわかっていた。
 社殿へと通じるこの道で初めて“あれ”を見たときから、道具への要求は高くなり、それゆえに道具への欲求は低くなった。
 頭領の後ろにいながら自分を保っていた“あれ”そのことがまず物珍しくて、しかし目を離せないのはそれだけではなかった。
 美しい。
 文字が意味を伴った瞬間だった。全体に色素が薄いせいか、肌の白さが際だっている。自分の周りにいる醜いものたちがいくら厚く塗ってごまかしても、あの透けるような消えてしまいそうな白を手に入れることはできないだろう。
 邂逅はほんのすれ違いだった。けれど、それで十分だ。儚いというのはああいうことを言うのだと、子ども心に腑に落ちた。
 あのときはまだ幼くて、“あれ”を見た瞬間に感じた、身体の芯を貫く熱の意味を知らなかったが、今ならわかる。
 欲しいと、何かをあれほどまでに欲したのはあのときが初めてだった。
 欲情  そう、確かにあのとき、欲情したのだ。頭領が連れていた、あの宇津保(うつほ)に。
 希代の宇津保と誰もが噂した。その力が美しさとなって外に現れたものか、それとも他に何か理由があるのか。それはわからない。
 けれど、そんなことはどうだっていい。ただ“あれ”が欲しいと、そう思った。
 不思議なことに、いずれ手に入れられるという確信めいたものが、同時に心に湧いたことを覚えている。他人の、それも頭領の宇津保など、たとえ五鬼衆(ごきしゅう)であったとしても手に入れられようはずもない。
 それに、件(くだん)の宇津保はもういない。いつの間にか村から姿を消し、頭領の後ろには別の  頭領が持つにはそこそこの器だが、“あれ”には遙か及ばない宇津保が、うつろな目をして付き従っていた。
 きっと、滅してしまったのだろう。所詮は消耗品だ。
 そう考えて、ふっと笑みが漏れた。消耗品ごときに何をいつまでもこだわっているのか。
 後ろに立つ手慰みの木偶(でく)も、こうして見れば悪くない。これなら片手くらいの仕事はこなせるだろう。
 もう“あれ”は手に入らない。そして今現在、“あれ”に匹敵するような器の持ち主もいない。ならば、木偶以外のものを求める必要もないだろう。
 それでももし  万が一、“あれ”に匹敵するか、もしくは凌駕するような器が現れでもしたら、そのときに手に入れればいいのだ。頭領をさしおくことなど鬼道衆(きどうしゅう)である身には許されないかもしれない。けれど、五鬼衆となれば別だ。そしてその日は、そう遠くはない。
 カシャ     
小気味いい音に振り向けば、車庫のシャッターが開いている。開けているのは宇津保で、その後ろに五鬼衆の一人が立っていた。五十がらみのその男が、こちらに気づいて眉を上げる。
「後ろのは木偶か?」
「ええ」
 男は検分するように木偶を眺めやり、やがて小さくうなずいた。
「借り受ける  いや、返すことは叶わないだろうから、譲ってもらいたいところだが」
 言葉こそ依頼の形を取っているが、否やを言わせぬ口調は五鬼衆ならではのものだ。
 男の視線を追うように後ろを振り返ったことに意味はない。元より執着する出来でもなく、急ぎ使わねばならない仕事もないのだから、この木偶をくれてやることに異存はなかった。ただ、相手を苛立たせたかっただけだ。
 木偶の手首を掴んでぐいと男の方へ押しやるまではほんのわずかな間であるのに、思惑通り、男は苛立ちを顔に張りつかせていた。
「邪気をこねたものを籠めてあります」
「説明は不要だ」
「……出過ぎた真似をしました。申し訳ありません」
 神妙に頭を下げて見せてたが、男の機嫌は損なわれたままで、無造作に木偶を車に放り込むと、そのまま出ていってしまった。
「説明を拒まれてしまったのだから仕方がないな」
 一人ごちた声が楽しげに揺らぐ。邪気以外の“もの”を今しがた付け加えたことに、男は気づいただろうか。
 
    *       *       *
 
 呼び出しに応じて拝殿へ向かうと、上座には頭領の姿があった。その脇に控えた五鬼衆は三人。一昨日、木偶を与えてやった男の顔が見えなかった。
「座れ」
 頭領の声に従い、彼の前に坐して顔を伏せる。
「五鬼衆が欠けた。補わねばならぬ」
「……お望みのままに」
「顔を上げよ。名を与えよう」
 言われるままに顔を上げると、ついと頭領の指先が宙に掲げられた。
  (えい)、と」
 空書された文字を認め、口の中で頴、と転がす。響きは悪くない。籠められた意味も悪くない。予想以上だ。
「技を磨き、なすべきことをなせ。五鬼衆として……」
「承知、いたしました」
 漏れそうな笑いを喉の奥で殺して、粛々とうなずいてみせる。頭の後ろに敵意を一つ感じるが、気にならない。邪魔になるようなら去ってもらえばいいのだから。
 穢れに満ちたものたち  醜いものは、いっそ滅びてしまえばいい。
 身体の芯に、熱が走った。

『わんだぁ・すりー!』(2002年12月発行)より

『傀儡覚醒』以前の、頴が五鬼衆になる直前のお話です。“あれ”への執着の始まりを書いてみたかったような記憶がほんのりとあります。
頴の話なのであえてくどくどとうざい文章にしてるんですが、今回読み直してても本当にうざかったです(笑)。

                     
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