それから

『秋津島』シリーズ番外編


 石段の最後の一段を下りると、そこは赤に黄に色づいた葉が絨毯のように敷き詰められている。見上げれば、木々は青い空を透かしていて、今年も紅葉を楽しむ余裕はなかったなとあらためて実感する。
 佐唯(さい)はほうっと吐息を落として、再び歩き始めた。
 北の地にあるこの社を訪れるのは、これで二度目になる。前に来た時は夏で、帰り際、今度は紅葉の時期にと宮司に言われたのが頭に残っていて、せっかくこの時期に訪れたというのに、駅から真っ直ぐ社へ入り、今また、駅へと引き返そうとしている。
 この二年の間、ずっとこんな調子だ。
 悪夢のような戦いを終え、大神(おおみわ)の斎(いつき)として、奈良での暮らしを始めた佐唯は、一度鹿嶋へ帰郷したものの、結局は奈良に生活の基盤を移し、大学も奈良県内を選んだ。そのことは、鹿嶋の家族を寂しがらせたが、佐唯が鹿嶋へ戻らない理由も、戻れない理由も、家族は全部飲み込んで認めてくれている。
 斎として生きる。
 それは、簡単に選択できることではなかった。
 斎である資格は、初潮と破瓜でしか失われない。守宮印(すくいん)が仮のものであれば、いずれ初潮が訪れ、別の誰かが斎になることもあるかもしれない。恋をして誰かと結ばれたいと願えば、斎ではいられないかもしれない。
 そう考えれば、斎というのは思春期の一時期だけ担うものであるようにも思われる。
 けれど、ほとんどの斎の守宮印は仮ではなく、神を宿したまま破瓜を選択する斎もおらず、特別な理由がなければ、死を迎えるそのときまで、斎は斎であり続ける。
 佐唯の先代である斎婆(いつきばあ)のように、永らえて天寿を全うする者もあれば、諏訪の斎たちのように自分を失い、命を削って夭逝する者もいる。
 斎になって間もなくの、あの過酷な日々の中で、斎たちと触れあってきた佐唯には、斎として生きるということは、即ち生涯をかけることに他ならなかった。
 少しも悩まなかったといえば嘘になる。それでも佐唯は、斎として生きていくことを選んだ。
 大学生になっても初潮の兆候はないから、佐唯の守宮印は仮ではないのだろう。誰かと結ばれたいという願いは、大切な人たちを失ってから抱くことはなくなっている。この先何ごともなければ、佐唯は死ぬまで大物主命(おおものぬしのみこと)とともにある。
『死が二人を分かつなどと考えてはいまいな?』
 不意に裡から湧き上がる声に、佐唯は苦笑する。たとえ佐唯が死んだとしても、この神ならば、根の国までも追ってきそうな気がしてしまう。
「伊賦夜(いふや)坂の千引(ちび)き岩なら、さすがに越えられないでしょ?」
『何を言う。我々を分かつことができるのは風呂の扉だけだ』
「……結局はそこなんだよね」
 殊更冷たく言い放っても、大物主命が堪える様子はまるでない。
 初めてかの神を身に宿してから三年になるが、風呂に入る際に感応を断つという一線は譲っていない。大物主命はよほどそのことが気に入らないらしく、三年経っても、ことあるごとにその話を持ち出す。本当に斎婆は、心底から大物主命に惚れていたのだろうかと首を傾げたくなる。
『彼女は風呂場でも床でも一緒だったぞ』
「私と斎婆は違います」
『ああ、これは私が悪かった。前の妻と比べるなどとは良くない行いだ』
「前の妻? 今も妻でしょう?」
『今の妻は  
「私は妻じゃないから」
 ざっくりと断つようにそう言うと、大物主命はぐうと詰まって黙りこんだ。その様子がおかしくて、思わず笑いが洩れる。
 こんな風に神とともにいて笑えるようになるなんて、あのときは思いもしなかった。
 始まったばかりの幼い恋が奪われ、思い描いていた未来も奪われ、何より長く築いてきた絆を奪われたあの日  そこから始まる苦しい旅の中で、いつかこんな風に笑える時が来るなんて言われても、信じることはできなかっただろう。
 今も、あの日々を思うと胸はずきりと重く痛み、癒しきれない傷がじくじくと血を流しているように感じる。それでも、今の佐唯は斎として生きることで、その過去を丸ごと受け入れて昇華しようとしている。
 今日、この地を訪れたのも斎としての行動によるものだったが、それは本来、一人の斎が行うべきことではなかった。
 神と斎の間の真実を語り伝えていくこと  それが、あの戦いを生き抜いた斎として、そして、地祇(ちぎ)の要たる大物主命の斎である自分の役目なのだと、佐唯は考えていた。
 戦いの後、一年を掛けて様々な事柄を学び、名実ともに斎として立った佐唯は、地祇の神を祀る宮を巡り、斎たちに、いつしか失われてしまっていた神と人との誓約について語り伝えている。
 中には、あの戦いで傷つき、いまだ斎が不在の宮もある。それゆえに社家(しゃけ)の中には、天孫(てんそん)に連なる社家を憎む者も少なくない。その気持ちは、佐唯自身痛いほどわかっている。けれど、それはいずれ更なる不幸の連鎖を生む。佐唯はそうした社家の人々へ向けて、自分の言葉であの戦いについて語っていくことで、天孫と地祇それぞれに連なる社家の関係を変えていければと思っていた。
 それは、当初考えていたよりもかなり厳しい道のりだった。今現在も佐唯が斎でいることを妬む者もいれば、戦いのきっかけを作ったのだと非難する者もいる。そうして浴びせられる言葉より、あの日々を生々しく思い出すのが辛い時もある。
 けれど、同じように天孫の宮を巡り、真実を伝え続けている伊勢の斎・賀陽(かや)の存在が、折れそうな佐唯の支えとなっていた。年に一度は伊勢神宮の奥宮で、互いの旅の徒然を語り合っているのだ。
 彼女の訪う先には鹿島があり、香取がある。今も表には出ず、潔斎の日々を送る鹿島の斎のこと、封神(ふうじん)法を用いながら、自分を取り戻しつつある双子の斎のこと  彼女らの近況を聞くことは、佐唯の中に痛みを呼び起こすこともあったけれど、それを上回る懐かしさと嬉しさも同時に感じられるようになっていた。
 賀陽との交流以外にも、佐唯を支えているものはあった。
 直接顔を合わせる機会は大分少なくなってしまったが、諏訪に住まう水百(みお)とは頻繁に連絡を取り合っている。最近では、大神での暮らしや斎としてのこと以外に、大学の話などもするようになっている。
 ただ、それは単に打ち解けたからというだけでなく、過酷な現実に極力触れないように、話題を探しているからという裏もあった。
 諏訪の斎は現在も冬子(とうこ)であったが、斎としての務めのほとんどを、もはや果たせなくなっている。
 あの戦いの後から寝込むことが多くなり、今はもう自力では起き上がることができない。歴代の斎のように自分を失うことはなかったけれど、そうして保たれた自分の意志を伝えることも困難になっており、身の回りの世話をしている水百だけが、その意を汲み取ることができた。
 未熟な佐唯を師のように導き、あるいは姉のように励ましてくれた冬子。彼女は今でも佐唯にとって心の支えであることは確かだが、彼女が斎でなくなる日はそう遠くない。水百との電話で、斎とは関係のない話題が上るたびに、その日が近づいていることを実感する。
 時が経つということは、様々なことを飲み込み、受け入れていける一方で、逃れようのない運命を引き寄せてしまうことでもある。
『赤く、火が燃えるようだな』
 静かなつぶやきに誘われて目を上げると、一際鮮やかな紅葉が頭の上に広がっている。こうした思考の堂々巡りは、宮訪問の途上ではよくあることで、心が揺らいで感応を断つことは難しい。だから、すべては宿している大物主命には筒抜けになっている。しかし、大物主命がそれについてとりたてて何かを言うことはなく、今みたいにただ、穏やかな言葉を一つ二つ掛けて、静かに寄り添ってくれる。それは賀陽や水百たち同様、佐唯の強い支えになっていた。
「……せっかくだから、少し紅葉を楽しんでいこうかな」
 不意に口をついて出た言葉に、自分自身驚きながら、佐唯は紅葉の下を歩いていく。さくさくと落ち葉を踏む音に合わせるように、大物主命の鼻歌が聞こえてきた。
「……?」
『紅葉狩りを楽しむのならば、もちろん、泊まっていくのだろう?』
「そうだね。もうこんな時間だし、無理して奈良に日帰りするよりは、一泊して帰った方が楽だし」
 来週末にはまた、別の宮を訪れることが決まっている。大学があるから、強行軍になることは目に見えている。ゆっくりできるチャンスはそうそうないのだから、今日だけは大物主命と一緒に紅葉を楽しみ、リフレッシュするのもいい。
『そういえば、先程の宮司が近くにいい温泉があるのだとか言っていたな?』
「言ってた言ってた。確かに、有名な温泉郷があるんだよね、ここ」
『そういうところならば、ゆったりした気分で露天に浸かりながら、紅葉を見るなどという風流もできるのではないか?』
「露天で紅葉狩りかぁ……いいかも」
 うっとりと紅葉を見上げた佐唯だったが、何かが頭の隅に引っかかっている。
『私もそういうところでゆったりと紅葉を眺めたいものだ。妻とともに……』
「……って結局それなの!?」
『あくまで楽しむのは紅葉で、たまたまその場所が露天というだけで  
「感応はしっかり断たせていただきます」
 あやうく誘導されるところだったと憤慨しながらも、いつもと変わらぬ大物主命とのやりとりに、佐唯は気づかれぬようにそっと微笑んだ。

『スパッとしもべ!』(2008年12月発行)より

『スパッとしもべ!』は『秋津島』と『S・P・A・T!』販促用同人誌でした。
これは『秋津島』を書き終えたときには、もう浮かんでいたお話です。3巻ラストから2年が過ぎていて、佐唯はこんな風に主さんと日本各地を飛び回りながら、斎としての務めも果たしてます。
当時の中書きによれば「主さんとの珍道中や他の斎たちの話も同人誌で書いていけたら」なんて野望も抱いていたようです。

                     
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